御書の世界第3巻より(池田先生)
法華経の法師功徳品では、法華経を保つ人の功徳として「六根清浄」を説きます。
その中の意根清浄の功徳として、法華経を保つ人は世間法の何を考え、何を語っても実相に違背しない、すなわち仏法に適っていると説かれている。
大聖人は「仏をば世雄と号し」と仰せです。
現実社会における勇者のことです。
世間法の中で正しく生き抜いていくのが仏です。
「四条金吾殿御返事」の中で、蓮祖は仏が「世雄」であるのに対し、王は「自在」であると対比されています。
ここでの自在とは、権力を行使して他人を思うままに「支配」するという意味となります。
つまり、権威権力を手に入れることは、決して世雄のリーダーシップではないのです。
同様に、学歴や地位、経済力などを手に入れても、それがただちに法華経の実証であるということはできません。
他化「自在」天子魔にとらわれてしまえば、むしろ成仏の妨げとなります。
人徳や道理、言論の力によって、自然に人々のリーダーとなっていくのが、真の世雄です。必ずしもご立派な地位は必要ないのです。
蓮祖も、真冬の身延で着る服すらなく、死んだ鹿の皮を拾って身にまとっていました。まるで石器時代です。何の見栄も飾りもありません。
世雄とは、究極の庶民の代表なのです。