義務感でいやいや勤行しても、功徳はありません。
生命が御本尊に向かっていないからです。
信心があるから勤行したくなるのであって、勤行したから信心が深まるわけではありません。
特に、時間を決めてしまうと、義務の勤行になりがちです。
そもそも、お風呂に入るとき、時間を決める人はいませんよね?
それと同じで、時計など見ず、各人が気持ちよくスッキリするまで続ければいいのです。
もともと勤行は呼吸法でもあるので、続ければ気持ちよくなるようになっています。
やりたくないのには、理由があるはずです。そして、そういう時には無理にやらなくていいんです。
風邪でのどが痛いのに、無理に唱えたら、ますます悪化してしまいます。
そんな時には無理せず休み、体調が回復してから再開すればいいんです。
形ではなく「御本尊に向かいたい」という生命に功徳が備わるのです。