文鮮明自叙伝「平和を愛する世界人として」より
チェボンチュンを呼んで、私は言いました。
「お前は、今すぐ玄界灘を渡っていかなければならない。勝利するまで戻ってくることはできない」
当時は日本とまだ国交がなかったので、密航するしかありませんでした。密航は国法を破ることでしたが、日本宣教は必ずやらなければならないことでした。
チェボンチュンは決死の覚悟で密航船に乗り込みました。
日本に到着するとすぐに逮捕されてしまいました。
刑務所に収監され、韓国に強制送還される日を待つ身となったのです。
思いつめた彼は、韓国に帰るくらいならむしろ死を選ぼうと腹を決めて、断食を始めました。
警察は治療が必要と判断して本国送還を延期し、入院させたところ、彼はその機に乗じて病院から逃げ出しました。
チェボンチュンが日本に教会を設立したのは1959年10月のことでした。
国法に背いての命がけの危険な出発でしたが、今考えてみれば、当時の私たちの選択はとても適切なものでした。
このように文鮮明は、手下に「犯罪」を命令しそれが成功した歴史を、2009年に発表した自叙伝で誇らしげに「適切だった」と公言しています。
その一点だけをとっても、現在に至るまで、統一狂が一貫して犯罪組織・反社そのものであることは明々白々です。
密入国だけでも十分にアウトなのに、脱獄までしているのだから、凶悪の度合いも突き抜けています。
日本共産党でさえ、かつての非合法活動を否定するのに躍起になっています。しかるに統一狂は、非合法活動の成果を現在に至るまで教団として堂々と公言しています。
どちらがより日本にとって危険な組織なのかは明らかです。
逃亡犯が極秘工作で結成したのが、日本の統一教会という組織です。そのスタート時点から、日本での存在が許されてはならなかったのです。
なおかつ、その最終目的は日本国を解体して韓国の一部とすることであり、明白なクーデターの意図を持っていました。
そこからどういう経緯で宗教法人格をだまし取ったかは不明ですが、反社を公益法人として優遇してきたこと自体が最初から間違いなので、ただちに解散命令を下すべきは当然です。
歴史を知れば、まともな人間ならばただちに統一狂と縁を切るはずです。残念ながら、信者は全員反社の構成員として扱うしかないのです。彼らは組織命令で平然と法を犯す危険集団であり、明白な日本の脅威です。