日達上人によれば、明治時代には、大石寺法主自らが先頭に立って折伏し、他宗と法論していました。
九州に初めて富士門流の信徒が誕生したのは、明治10年ごろ、日胤上人自らが西日本を廻って布教された時とされています。
リーダー自らが動かずして、広布は進展しません。
しかし、日顕や日如が自ら折伏したとか、他宗の僧と法論したなどという話は聞いたこともありません。
そもそも、日顕宗に自ら折伏できる坊主などいるのでしょうか?失笑
ノルマを押し付けられる法華講こそ哀れです。
創価学会においては、三代会長自らが先頭に立って折伏対話を重ね、世界に仏法を弘めてきました。
広布のリーダーは、世界のあらゆる思想哲学者と対談しても、納得心服させる力を持たねばなりません。
いわば、創価の会長は、永遠に「法論の世界チャンピオン」であることが求められるのです。
会長が法論に負ければ、それだけで学会が負けたことになってしまいます。他が全部勝っても台無しです。
リーダーの責任とは、それほど重いものなのです。