宗門の機関紙「大日蓮」の昭和42年11月号には、宗務院教学部長だった日顕の発言が残されています。
「宗祖大聖人の御遺命である正法広布時戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て(中略)始めてその実現の大光明を顕さんとしている」
このように日顕自身が、正本堂は本門戒壇であるという認識を表明していたのです。
後に日顕は、池田先生が着工大法要において「正本堂は本門戒壇だ」と発言したことにクレームをつけてきました。
先生のこのご宣言は、日達法主や日顕の発言を受けてのものであり、宗門の指導に従ったものです。それが謗法と言うなら、日蓮正宗そのものが謗法ということになります。
第一、20年以上も放置してきた問題を、どうして後に突然蒸し返したのか?
日顕の言動は全てにおいて頭破作七分なのです。