日達法主の最大の功績の一つが、時代錯誤の国立戒壇論を放棄したことですが、これは創価学会の池田会長の意見を聞き入れて実現したものでした。
国立戒壇とは、本門の戒壇建立には政府の公認が必要であるという考え方で、戦後しばらくは、 国会の議決を要するという考え方が宗内にありました。
確かに三大秘法抄には「勅選及び御教書」が必要と説かれていますが、これは封建時代において、皇室と幕府の許可が無ければ戒壇建立が事実上不可能だったからに過ぎません。
戦後の、信教の自由が保証された日本社会では、単に建築許可を取ればいいだけの話です。
池田会長の意見に賛同された日達法主は、以後「国立戒壇の名称は一切使用しない」と宣言し、正本堂建立に向けて大きく前進したのです。
時の法主が、一在家信徒の意見によって、教義を変更したのです。当時の宗門が、どれだけ民主的であったかが分かるエピソードです。
和気あいあいとした僧俗和合の雰囲気こそ、戦後、日蓮仏法が爆発的に広まった最大の理由でした。
しかし今の宗門に、在家信徒が法主に教義上の意見を出せる雰囲気など、とてもありません。
「破門」されてしまうのがオチでしょう笑
今の宗門に、富士の清流は伝わっていないのです。