昭和25年の秋ごろより、戸田先生は事業を再建するため、22歳の池田大作青年を大東商工の営業部長に任命します。
池田青年は戸田先生の懐刀として、人知れず事業の再建に心血を注ぐことになります。
それと同時に、戸田先生は日曜には選び抜かれた14名の青年を自宅に呼んで、御書や文学を講義するようになりました。
いかなる理由があろうと遅刻は一切認めないという厳しさでした。
特に池田青年には、政治経済から歴史、科学に至るまで、学問全般にわたって個人教授を行いました。これは平日の始業前にも続けられていきます。いわゆる「戸田大学」です。
当時の戸田先生は、事業再建に多忙を極め、会合にすらなかなか出席できない状況にありました。
その中でも青年たち、特に池田大作青年の訓練だけは、欠かさず続けていたのです。
これは池田青年も同様でした。多忙の極みで会合にはほとんど出られず、役職もありませんでしたが、戸田先生の厳しい訓練を全て受けきりました。
池田先生こそ、戸田先生の全てを継承した唯一の弟子なのです。