従来の学会では、「青年部が全てを担う」という精神から、会館・会合運営など一切を青年部で引き受けてきました。
しかしこれは、青年部層が厚い時代だからこそ成り立っていたやり方です。
現在は少子高齢化が進み、団塊ジュニアも40代に入りました。青年部の減少が顕著です。
それでも会館や会合が減っているわけではないので、青年部にかかる負担は以前よりはるかに大きくなっています。ハッキリ言って雑用が多すぎます。
貴重な人材が任務や会合に忙殺され、肝心の折伏や家庭訪問の時間を確保できないという、本末転倒の事態が続いています。
そもそも会館会合運営は、訓練の「枝葉」に過ぎません。小さな福運は積めますが、宿命転換できる闘いではありません。
青年たちが駐車場の整理だけで満足し「折伏は誰かがやってくれるだろう」などと考えるようになれば、広宣流布は終わりです。
青年部の訓練とは、まず何より折伏の訓練です。
創価班や牙城会を含め、会館会合運営は今後原則として壮年婦人の担当とし、青年部は折伏に専念させるべきです。
週末の会合は原則無しとして、全幹部が折伏に打って出るべきです。
同時に、青年時代に教学を確立することも必要です。
難解で時間がかかるからこそ、若くて頭が柔軟な時期に学ぶ必要があります。
過去の法難を見ても、退転者に共通するのは、教学を軽んじていたことです。これは結局本師をおろそかにすることなので、成仏からかけ離れてしまいます。
週に1日は「教学デー」として、各自が御書の研鑽に専念するというリズムを作ってもいいでしょう。
我等はあくまで「学会」ですから、学びを忘れてはならないのです。
会合運営など、急いで覚える必要はありません。
青年部の抱える真の問題は、着任や司会のできる人材の不足ではなく、「折伏できる人材の不足」です。ここを決して取り違えてはいけません。
青年時代こそ、題目・折伏・教学という、生涯の信心の基盤を徹底的に訓練する時期なのです。
若い時代に教学を徹底して学び、仏法の哲理を自己の規範としておかなければ、本当の意味で広宣流布を担うことはできない
青年たちが(中略)真剣に教学に取り組まず、行事などの運営の真似事みたいなことだけ覚えて、リーダーになっていったら、怖いことです。
新・人間革命「金の橋」より