環境に左右されるのは、まだ相対的な幸福であり、天界の生命を脱していません。
絶対的幸福は、信心によってのみ到達できます。
法華経の行者の祈りは、必ず叶います。
(叶うとかえって不幸になる祈りは、自然に叶わなくなります)
つまり、祈った瞬間には全て叶っています。叶うと決定しています。
後は、ワクワクしながら結果が出るのを待つだけでいいのです。
それを信じられるかどうかなのです。
どんな祈りも叶うのだから、楽しくて楽しくて仕方ない。
それが本来の信心です。
今、どんなに貧乏でも病気でも、関係ありません。ただちに所願満足の境涯に入れます。
理想の境涯になれると決まっているのだから、今どんなに借金があろうと、不治の病であろうと、牢屋に入れられようと、歓喜に満ち溢れ、生きているのが楽しくて仕方なくなるのです。
たとえるなら、100億円の宝くじに当選して、振り込まれるのをワクワクしながら待っているような心境です。それが永遠に続くわけです。
これが、絶対的幸福境涯です。仏界です。一生成仏です。
もっとも、このお題目の力は、100億円ぽっちではとても表現できません。
あなたがお金に困っていれば、大聖人は、白紙の小切手を何枚でも切ってくださいます。
あなたは、そこに好きな金額を書き込めばいいのです。
あなたが病気に苦しんでいれば、大聖人は、万病に効く薬を処方してくださいます。
あなたが結婚できずに困っていれば、理想のパートナーを紹介してくださいます。
遠い未来、生きることに疲れたら、新しい理想の肉体を与えてくださいます。
再び日本に生まれてくるのも、遠い星に生まれるのも、全て自由です。
全て思うがままになるのです。
ほとんどの人は、「叶えてください」と祈っています。
これはまだ半信半疑です。だから歓喜がないのです。
お題目の妙力は無限大なのですから、叶うに決まっています。
それをいまさら「叶えてくれ」などと祈るのでは、かえって不信となってしまいます。
叶うはずのものまで、かえって叶わなくなってしまうのです。
必ず叶うとわかっていれば、御祈念文に書いてある通り、自然に大聖人への報恩感謝の祈りになっていきます。
「大聖人様、すべての祈りを叶えてくださり、本当にありがとうございます」
本当はそれだけでいいのです。
それこそが、仏界の境地なのです。