昭和5年5月、創価教育学説の支援会が結成され、著名人28名が趣意書に名を連ねました。
その筆頭は、「憲政の神様」時の総理である犬養毅でした。
鳩山一郎の名も見られ、彼やその子孫が後に総理になったのは、福運の残滓でしょう。
5000円札の新渡戸稲造や柳田国男も参加しており、日本を代表する名士しか参加できないといって過言ではない支援会でした。
われわれ弟子は、戦前の立正安国の進展・スケールを過小評価すべきでないのです。一次元においては、現在よりも理解が進んでいました。
牧口先生は史上最高の地理学者であり、哲学者であり、教育学者でした。その巨大な天才は、信仰という次元を別にしても、「日本の至宝」として、誰もが認めざるを得なかったのです。
断じて、一部の弟子たちのみから尊敬されていたのではありません。
宗門の社会的信用など当時からゼロでしたから、立正安国は事実上、牧口先生個人の信用にかかっていました。
あまりにも先生が突出していたために、小笠原慈聞が妬みから軍部と組んで先生の脚を引っ張り、学会を壊滅させたのが真実です。
首相を始め、社会の指導者に仏法を理解させ、帰依させていくことは、もちろん立正安国に欠かせません。
今日においては、日本だけでなく世界の指導者に仏法を語ることが不可欠です。それを実践されてきたのが、孫弟子である池田先生です。
戦後の学会の発展は、やはり日本の至宝である池田先生を守ってきたからこそです。
公明党支援だけで事足れりと考えるのは、あまりにもスケールが小さく、大きな勘違いなのです。