池田会長講演集第一巻より
我々は年を取ってくる。
創造性にも限りがある。
人間の力にも限りがある。
あとは若々しい理事長とか本部長とか、部長、部隊長、隊長とか、そういう人たちに大きい期待をかけております。
かける以外に道はない。
広布と人生を語る6より
年配になると、自分の保身のため、利害のため、身も心も濁りやすいものだ。
それは天然の理でもある。
ゆえに若き諸君が、次の世代を受け継いでいかなければならないのである。
往々にして中年になっていくと、世事に流され、社会的名誉に流され、しだいに信心が濁っていく場合があるようだ。
人間と仏法を語る①より
長年信心をしているからとか、幹部であったからとか、後輩を見下ろすというような、自らの信心の濁りは、人々をも濁らしていくから、まことに危険な存在といわなくてはならない。
そうなってはいけないし、またそのようなひとのために信心を濁らせてもならない。
人間、年齢を重ねると、悪い意味での「世間ずれ」というか、青春時代の清らかな純粋さを失っていきがちである。
信心の世界においても同様である。
蓮祖の在家における一番弟子であった富木常忍でさえ、晩年には興師から離反し、自ら出家して中山門流を興しています。
ベテラン・功労者が、徐々に自分中心になり、純粋な信心を失っていくのは、ある意味でやむを得ない面があります。
ゆえに、三代会長を純粋に求める君たち青年が、新たな広布のリーダーにならなければならないのです。
世代を超えて仲良く前進していくのは当然です。が、「なれ合い」になってはいけません。
信心は仏道修行であり、魔との闘争なのです。
間違っても、先輩幹部が師匠ではありません。それは、師の偉大さを知らないだけです。
海を見たことが無ければ、湖が世界一大きいと誤解してしまうでしょう。そのようなものです。
本来、執行部にはどんどん青年部から登用していかねばなりません。
「リーダーが若すぎると、ベテランはついていけない」
という声もありますが、自分の世代中心の信心などありません。
青年リーダーについていけない功労者には、残念ですがご退場いただく他ありません。
また、それによって組織の世代交代が進むのです。
創価学会は老人会ではなく、永遠に青年学会なのです。それが不老不死の意味です。
絶対的幸福とは、青年の成長を喜ぶことであり、それ以外はすべて幻なのです。