昭和28年5月17日「婦人訓」より
今まで婦人は怨嫉の製造元のようにいわれて参りました。今日この機会に創価学会の婦人からは、この言葉は返上致そうではありませんか。
内面的な魔、特に自分の命より出る魔にたぼらかされて自分は勿論、他にまでおよぼして地獄に堕ちた例が数多くあります。
これらの多くは、今までの家族制度の欠陥から習性となっている所の消極的で視野が狭く、非常に愚痴の多いところから来ていると思います。
あらゆる機会に暇を生み出して教学を身につけようではありませんか。
以上、井上シマ子の延べ来る所の言々句々、予創価学会会長戸田城聖の心の言々句々として之を信じ之を尊重し、一言も無駄にすべからざる事を婦人諸氏に重ねて望むものである。
愚痴は不信の表れです。
「祈れば必ず解決する」という確信が無いから、愚痴になるのです。
つまり「大聖人様、あなたをいまいち信じ切れません」日夜そう祈っているとの同様ですから、功徳が無くて当たり前なのです。
特に肝心なのは魔が競った時です。それこそが正しく修行している証なのですが、凡夫はつい「祈っても無駄ではないか」と思ってしまいます。
本当は、祈りが容易に叶わない時こそ、宿命転換の大チャンスなのです。
ようやく過去世の宿業が出てきてくれたのですから、大いに歓喜し、いよいよ法華経を説き広めていきましょう!