方便品壽量品講義より
折伏をいくらやりましても、商売が不熱心でありますと罰を受けます。
「法華を̪識る者は施法を得可きか」ということは、信心をするものは、こうやったら商売が良くなるとか、こうやったら病気が治るとかいうことが、分かってこなければいけないのであります。
いつまでも、世間的にも馬鹿ではなくなるのであります。
昭和30年21月1日「生活に学会人としての襟度を持て」より
もし職業に不熱心な者があるとすれば、これ謗法なりと吾人は断ずる。
わが職業に歓喜を覚えぬようなものは、信心に歓喜無き者と同様であって、いかに題目を唱えようとも、社会人としての成功はありえようがない。
第8回総会スピーチより
ある人が商売をほったらかして座談会に出ていると聞いて、身の切られるほどつらい思いをした。
商売も法華経である。
生活を良くするための信仰ではないか。
逆にする人が、どうして私の指導を受けているといわれようか。
ここを取り違えずに、信心中心に考えていくということです。
池田大作全集69 177頁より
商売もしないで、南無妙法蓮華経ばかり唱えたって駄目なのです。
店を閉めておいて、買いに来てといってもダメです。
いろいろと研究し、努力しなければならない。
それがなければ、せっかく仏様の方で助けてやろうと言われているのに「いらない」「いらない」と自分で言っているようなものだ。
「助けてください、助けてください」とお願いしておきながら、助けに行けば「いやだ」というのと同じでしょう。
学会活動だけ熱心にやっていても、法華経の行者とは言えません。それはただの「宗教屋」です。
今の仕事がどうしても好きになれないのであれば、転職も考えるべきです。
現代においては、特に男性の場合、仕事で成功することが成仏の証です。
学会の役職が上がっているのに、職場の役職が上がらないというのでは、かえって法を下げています。
人の3倍工夫し、努力し、社会のリーダーに育ってこそ、久遠の使命を果たせるのです。