池田大作全集100 25頁より
学会利用、信心利用の、醜い利己心の輩を許してはならない。
皆がおかしいと思っても、それを口に出せないような特別な存在を、つくってはならない。
悪に対しては、勇敢に声をあげることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。
悪を見ながら、放っておいて闘わないと、自分が悪と同じになってしまう。
積んできた福運も消してしまう。
118頁より
牧口先生は、組織は上からではなく、下から変革していくのだ、と訴えておられた。
広布を阻む動きに対しては、勇気をもって声をあげることだ。
「おかしい」と思ったら、どんな人間に対しても、厳然と言っていくのである。
おとなしくする必要はない。
言わないのは臆病であり、場合によっては、悪につながってしまうからだ。
120頁より
戸田先生の指導を紹介したい。
どんなに人柄がよくても、立派そうに見えても、悪に対して弱い人間、悪と戦わない人間は、結局、正義がない。
ずる賢い人間だ。
悪への怒りなき者は去れ!
154頁より
利己主義、臆病、要領、名聞名利―そういう人間を偉くしてはならない。
絶対に学会を任せてはならない。
将来のために、明快に言い残しておきたい。
幹部にそういう人間が出たならば、一切、言うことを聞く必要などないし、断固として追い出し、清浄な組織を守っていくべきである。
179頁より
ずるい幹部や威張る幹部が出たら、皆がどんどん言わなければならない。
正さなければならない。
幹部自身も皆に、どんどん言わせなければならない。
抑えつけるのでは、よき人材がいなくなってしまう。
遠慮などいらない。いうべきことを言わないのは臆病である。
思い切って言わなければ、変わらない。
180頁より
悪に対しては、ただちに反撃する。これが大事である。
ぐずぐずしていれば、悪は広がる。
小さな兆候も、見逃してはならない。
222頁より
悪と戦わなければ、悪を容認し、悪に加担するのと同じである。
その根底は臆病であり、保身であり、背信である。
「もう、これくらいでいいだろう」そんな中途半端な心が毛筋ほどでもあれば、悪の根を断ち切ることなどできない。
邪悪を全て根絶するまで、正義を叫び抜く。
262頁より
威張って同志を苦しめる幹部、学会利用の堕落した幹部が現れたならば、厳しく責めぬいていくことだ。それが慈悲である。
たとえ相手が上位の幹部であっても、下から上へ言っていくのである。
291頁より
戸田先生の弟子の中からも、反逆者や退転者が出た。
こうした卑劣な人間が出たならば、手厳しく糾弾することだ。断固として戦い、打ち砕くのだ。
316頁より
役職や立場を利用してインチキをしたり、同志を苦しめる人間が出たならば、絶対に許してはならない。
「あなたは、間違っている!」「おかしいではないか!」と厳しく責めぬいて、その悪を暴いていくのだ。
363頁より
謗法や、破和合僧の働きとは、断固戦わねばならない。
そうでないと、自分が悪と同じになってしまう。
373頁より
(戸田)先生は、新任の幹部に対して、「学会をよくするためには、どんなことでも勇気をもって言いきっていきなさい」と指導され、上の人間に対しては、「そうした意見をよく聞いてあげなさい」と言われていた。
411頁より
戸田先生は「幹部のご機嫌をとってはいけない」と言われた。
威張る幹部や、ずる賢い幹部が出たならば、皆で率直に意見を言っていく。
この時期(2006年)のスピーチには、このように「幹部の悪と戦え」という指導が、毎回のように繰り返されています。
ぜひ全集100で実際にご確認ください。
三千大千世界の仏は、1人の例外もなく、悪を打ち破ることで成仏しています。
あなたがどんなに人格者でも、題目をあげても、学会活動に励んでいても、悪い幹部を黙認していたら、それだけで福運を失い、与同罪で無間地獄に落ちてしまうのです。
戸田先生は「ずる賢い」とまで言われています。あなたに言っているのです!
そもそも、あなたが幹部からどれだけ叱られようが、嫌われようが、成仏とは何の関係もないはずです。遠慮する意味が分かりません失笑
最悪でも除名されるだけです。これはあなたの意志で組織から離れたのではなく、幹部の陰謀ですから、その幹部が破和合僧で無間地獄に堕ちるだけです。宗門が学会を破門したのと同じで、全く気にする必要はありません。
御本尊は「授与」されたものなので、除名になっても返還する必要はありません。御書も全集も手元にあります。信心を続ける上で、何の支障もないのです。
こうして頭の中を整理していけば、幹部に嫌われることを恐れてご機嫌を取る理由など、どこにもないことが分かります。
幹部の説教などではなく、仏罰を、師匠を裏切ることこそを恐れてください。