学会では会員同士のトラブルを予防するため、借金や忘新年会の禁止など、様々なルールがあります。
とはいえ、これだけの凡夫が集まるわけなので、全てのトラブルを防ぐことはできません。
たとえば、あなたが会合の後に幹部と個人的に飲みに行き、酔った幹部に殴られたとします。
しかしこの場合、組織は関係なく、あくまで個人間のトラブルとなります。
学会には、「幹部と個人的に親睦を深めよ」という指導はありません。もちろんプライベートなお付き合いは自由ですが、トラブルに発展した場合には、自己責任となります。
学会活動の中でトラブルが生じたわけではないので、学会員同士であろうと、組織の問題ではないのです。
治療費を請求するなり、被害届を出すなり、好きにしてください。組織がそれに口を出したり、幹部を守ってやる立場ではありません。
言うまでもなく、これは怨嫉や破和合僧とはなりません。犯罪被害者が加害者に民事・刑事上の責任を取らせるのは当然の権利であり、宗教を口実にそれを妨害するとしたら、重大な人権侵害です。
万が一訴えを取り下げるように組織から指導をされても、一切相手にする必要はありません。これは学会員としての活動ではないので、組織が口を出す権利はないのです。
ただ事件化された場合、その幹部が「学会の社会的信用を棄損した」として解任される可能性はあります。
その一方、学会活動の中で幹部から被害を受けた場合は、話が全く逆になります。
たとえば、熱があるにも関わらず、欠席が認められず、創価班の着任を強制されたとします。これはもちろんパワハラです。
あなたは「学会活動の中で」パワハラを受けたので、その責任は組織にあります。組織には、幹部への指導監督責任があると考えられるからです。
学校でいじめがあった場合、担任や校長の責任が問われるのと同じです。組織とはそういうものてす。
池田先生は「下から上に言っていけ」と指導されているので、もちろんあなた自身が直接この幹部に指導する権利もあります。(たぶん聞く耳を持ちませんが)
しかし、それ以上に大事なのは、しかるべき上位の幹部にパワハラ被害を報告することです。
なぜなら、あなた以外にも被害者がいるかもしれないからです。
調査の結果、程度によっては幹部の交代も必要になってきます。
さらに、学会員は誰でも「パワハラを受けないで活動に参加する権利」があると考えられるので、あなたは組織に対して再発防止策の実施を要求できます。
最低でも、同じ幹部の下で活動しなくていい配慮は必要でしょう。
創価学園では、いじめの加害者は退学が原則です。厳しいようですが、被害者が加害者と顔を合わさずに学園生活を続ける権利が優先されるからです。
間違っても、「当人同士で話し合って解決しなさい」などという指導を受け入れてはいけません。
それは、本来組織が取るべき責任を個人に押し付けているだけであり、とてつもない無責任です。組織否定に通じてしまいます。
何があっても個人の責任になるなら、組織など最初から必要ありません。
どちらの場合も、法華経の行者をいじめた加害者は、厳しい仏罰を受けることになるでしょう。
だからといって、同志の罰を祈るのは、仏法者としてあまりにも無慈悲です。
罰が出る前に罪を認めさせ、悔い改めさせるのが、仏の道です。
今は「忍辱の鎧」を着ている時ではありません。
悪に対しては具体的に戦いを起こし、妥協なく攻め切らなければなりません。
ただ祈るだけで、幹部の悪を事実上見逃すことは、与同罪に通じてしまいます。
あなた自身が被害者なのに、重ねて仏罰も受けてしまうのです。こんなに損は話はありません。
仏になるためには、天魔を打ち破ることが絶対条件です。
祈っているだけで仏になれるなどということは、決してあり得ないのです。