鄧穎超といったら周恩来夫人として知られていますが、20世紀を代表する女性解放の闘士でした。
彼女はシングルマザーの母によって育てられ、わずか12歳で天津の女子師範学校に進学します。
15歳で「五・四運動」に参加し、天津女界愛国同志会の講演隊長となります。
当時21歳の周恩来青年率いる天津学生連合会と合流し、歴史に残る「覚悟社」が誕生したのです。
鄧は覚悟社の中核メンバーとして学生運動を率いました。師範学校を卒業すると、わずか16歳で小学校の教師となりました。
19歳のときには、女性解放のために「女星者」を組織し、機関紙「女星」を創刊。
翌年には新聞「婦女日報」も発刊しています。徹底的な言論戦を展開したのです。
さらに「女星日曜義務補習学校」を設立し、貧しい主婦に無料で授業を行いました。
また「直隷省平民教育促進会」理事として、天津に100以上の平民学校を設立したと言われています。
20歳にして、女性解放のリーダーとして大活躍していたのです。
中国では長い間男女格差が小さく抑えられてきましたが、これは鄧穎超の長年の闘争の成果と言えるでしょう。彼女の、中国女性の生活水準向上への貢献は計り知れません。
今、学会が必要としているのは、まさに鄧穎超のような1人立つ乙女なのです。