選挙戦はあくまで信心の闘いです。
なので、選挙の後は世帯が増えていなければおかしい。
票だけ増えても世帯が増えないのは、「選挙屋」の闘いです。信心の闘いになっていないということです。
「世帯を増やさず票だけ増やすにはどうすればいいか」を祈るのは、まさに選挙屋の祈りです。
これは広宣流布の誓願を放棄していますので、日蓮と同意の祈りとは言えず、せっかくの功徳を消してしまいます。
世帯増の祈りが大前提です。
世帯が増えた結果、必然的に票も増えるのが、選挙戦本来の在り方なのです。
公明党だけでなく創価学園も民音も、広宣流布を加速させるために設立されたはずです。
折伏を停滞させるのではなく、加速させるのが本来の選挙戦なのです。