法華経の智慧より
大聖人は、成仏した生命は九界の世界に、たちまちのうちに戻ってきて、自在に衆生を救っていくと述べられている。
一回の人生を終えても、「須臾の間」に、また生まれてくるのです。
また、休みたい人は休んでいいのです(笑い)自在なのです。
今日寝て、明日目が覚めるようなものです。
「未来をひらく君たちへ」より
肉体や精神は滅んでも、生命という本質は大宇宙に厳然と存在している、と仏教では考えます。
(水が)水蒸気になっても、H2Oという本質は変わらないのです。
それが、ある縁によって、ふたたび人間として生まれてくる。
水蒸気が冷えてふたたび雨水となって降ってくるわけです。
次の生は、現在の生の続きなのです。
よいことをして人生を終えた人と、殺人などの罪を犯した人とでは、次の生において、その違いは、はっきりあらわれます。
死は決して終着点でないどころか、次の生の出発点であると私は考えています。
キリスト教やイスラム教、また無神論においても、ほとんど人生は一度きりであり、来世など存在しないと説いています。
これが、現代社会の混乱の元凶となっています。
たとえば、生きている間さえ良ければいいという考え方なら、自然保護など必要ないことになります。
自分が死んだあとは人類が滅びようが地球が滅びようが無関係なのですから。
しかし、再び地球に生まれてくる可能性があるなら、やはり自然は大切に守って行かなければならないでしょう。
このように仏法の裏付けがなければ、最低限のモラルでさえ論理破綻してしまうのです。