妙法は因果倶時ですから、
本当は、御本尊に祈った瞬間に全て叶うのです。
ただ、それがすぐ現象として現れないだけで(全宇宙が動きますから時間がかかります)、ハッキリするのは時間の問題です。
ただし、最終的には信力が問題です。
「一応祈ってみるけど、どうせ無理ですよね」
そう祈っているから、その程度の結果しか出ないのです。
「祈りを叶えてください」
これも、まだ十分な信心とは言えません。
祈れば必ず叶う御本尊なのだから、いまさら「叶えてください」と祈っては、かえって不信となってしまいます。
つまり、祈るときには、すでに「叶った」ものとして祈るのです。
だから歓喜が湧くのです。
祈っても歓喜がないのは、まだお題目の妙力を信じていないからです。
本当にお題目を信じ切れば、祈ることはこれだけです。
「大聖人様、この有難い御本尊を残していただき、本当にありがとうございます」
「ご恩返しに、お題目を世界に広めてまいります」
御祈念文通りの、報恩感謝の念が、自然に顕れます。
これが仏界の境地なのです。