幸福抄より
社会運動といっても、一日の大半を使って、一切をなげうってする活動を私は主張しているわけではない。
1時間でも2時間でも、社会とかかわっていく行為が最も望ましいことであると思う。
100分の1の人が10時間、忙しく動き回るよりも、全ての人が10分間だけでも参加すれば、そのほうが効果が大であることはいうまでもなかろう。
さまざまな立場の人が集い合って、語り合い、歩むことが尊いのである。そこからは偏った、あるいは日常生活の感覚から遠く離れた思想は出てこないからだ。
一部の人だけで進める運動は、偏頗な、また急進的な結論に走る恐れがある。
それを防ぐには、多くの人が参加し、遅いようではあっても、着実な歩みを続けることが必要であろうと私は思う。
裾野を広げることが、そのまま頂点を高めることに、自然のうちになるであろうことを強く信じているのである。
ここに、池田先生が700万世帯を急がれた理由があると考えられます。
少数精鋭が社会を指導していくのではなく、大衆そのものが少しずつ知恵を出し合い、総意によって変化していくことが望ましいとされました。
ここは、学会活動の現場でも意識が必要なところです。
全員に一律でノルマを課すようなやり方だと、結局は人が減ってしまいます。
幹部には「仏子を選別する」権限などありません!
より具体的には、役職には任期を定め、特定の人に負担が集中しないよう、配慮が必要です。またそれが「長老」や「お局様」の発生を防ぐことになります。
もちろん家庭や仕事、健康面も考慮すべきです。病気でも活動を休めないなど、もはやカルトです。
そうした配慮がないから、みんな役職を受けたがらず、押し付け合いになってしまうのです。
また人材を育てるには、まず底辺の拡大が必要なことは当然です。
大谷翔平が育ったのも、日本の野球人口の広がりあればこそです。
その意味でも、幹部ばかりを増やすのではなく、まず横への拡大こそが、広宣流布の正道なのです。