牧口常三郎箴言集より
素人に比べて教え方が上手ということだけが、教師の教師たる所以の特質で、それ以外ではないはずてある。
教師の人格的感化を教育の最大勢力と見るならば、これは事実においてありえない妄想
牧口先生は自らが教員でありながらも、決して教員を特別視することはなく、むしろ厳しい目線を向けていました。
間違っても、教員の人格を他の職業、保護者生徒より上に見てはならず、教員というだけで尊敬されることを明確に否定されていました。
校長という現場の管理職を経験する中で、人格に問題のある教員が少なくなかったのでしょう。
これは今日においても課題です。教員はほぼ全員、大学を出てストレートに教師となるため、実社会で働いた経験が皆無です。「先生は世間知らず」が、世間の常識です。
学校ではいまだに素手で床を雑巾がけし、プールでも日焼け止めが使えないなど、令和とは思えない「原始時代」が続いています。
学校以外の世界を知らない教員が子どもたちを育てるのだから、どうしても無理があります。
先生自身は、苦学しながら学問を収めて偉大な地理学者となっています。大学も卒業していません。
その経験から「学校だけで真の全人教育は不可能」という結論を下し、半日学校制度において実社会と学校両方での生活が不可欠とされたのです。
創価教育学は、時代遅れどころか、未来を先どった教育学なのです。