随筆人間革命より
近所の子どもたちが「センシェイ」とはしゃぎながら、幾人か入ってきた。
抱っこしたり、頬ずりしたりしてあげる。
我が家では、しぜんに子どもたちが成長してしまった。
近所の子どもたちの到来は、なによりも大歓迎。
勤行を終わらせ、急いで車に乗る。子どものひとりが、どうしても一緒にというので、乗せてあげる。
少年雑誌の編集長をやっていたくらいなので、池田先生の子ども好きは筋金入りです。
もちろん先生ご自身が「少年の心」を抱き続けていたからこそ、子どもたちにも好かれたのでしょう。
大人の世界では、いわれなき中傷を受け続け、先生は常に孤独の中にいました。弟子たちの裏切りも続きました。
偏見を持たない子どもたちだけが、先生にとって、心を許せる唯一の「親友」だったのでしょう。
もちろん当時と今とでは時世が違うので、このような親密な子どもとの触れ合いは全国どこでも難しいのかもしれません。
しかし、子どもを学校と家庭に「隔離」して、地域社会に参加させず「純粋培養」することが、決して本人のためにならないことは明らかでしょう。
かつての日本では、ガキ大将が近所の子どもたちをまとめて安全な遊び方を伝える文化がありました。
しかし今のように「川遊び禁止」となってしまうと、安全に遊ぶ方法が次の世代に伝わらなくなってしまうので、初心者がいきなり危険な場所に入って事故が起きてしまうわけです。
その結果、ますます「川遊びは危険」となって、子どもは地域からどんどん切り離されていきます。
木登りを禁止すれば、確かに子どもを転落の危険から守れます。
しかし、木登りを経験しないまま大人になることは、本当に「いい人生」なのでしょうか?
大切なのは「安全な木登り」を後輩に伝えていくことであって、木登りそのものを禁止することではないはずです。