1974年に池田先生が訪中した当時、中国の学校には工場が併設され、児童生徒は実地での職業教育を受けていました。
最高学府の北京大学においても、7件もの工場を経営しており、学生の手で市販されている薬品などが製造されていました。
学問があくまで「人民への奉仕」であることを忘れさせないため、あえて学生たちに労働を義務付けたのです。
このような方針は、牧口先生の唱えた「半日教育制度」の実践ともいえます。
いまでこそ、中国の受験戦争・座学偏重は日本をはるかに凌ぐ厳しさになっていますが、
当時の中国では、創価教育が事実上採用されていたといってもいいでしょう。
中国政府が創価学会に強い関心を寄せたのは、必然ともいえます。
創価教育は、われわれ弟子がイメージしているよりはるかに普遍的・世界的な教育学なのです。