池田大作全集74 33頁より
戸田先生がもっとも嫌われたのは、「形式主義」であった。ゆえに弟子の私も、徹底して「実質主義」の人間である。
たとえ少人数でもよい、(会合に)来た人が、心から納得し、喜び、御本尊への確信をもって出発できたかどうかである。
反対に、何千人集まり、整然と進行し、立派で盛大そうな姿を見せたとしても、皆がただ疲れ、苦しみ、心からの信心の喜びがないのであれば、結果として、虚栄の集いとなってしまう。
リーダーのための会合でもなければ、組織のための会合でもない。
人間のために組織があり、リーダーがいる。組織やリーダーのために人間が従となれば、もはや仏法の生命はない。
会合に人が集まるのは広宣流布の「結果」であって、原因ではありません。
人を集めれば広宣流布が進むと考えるのは、大きな間違いです。
まして、会合を開くことが信心の目的ではありません。
大きなイベントほど、準備も大変になり、事故も起きやすくなります。
無意味に人を集める前に、まず幹部が総出で折伏に駆け回るべきでしょう。
信心の「現場」とは、会合の場ではなく、あくまで対話の最前線なのです。