新・人間革命「清新」より
心しなければならないのは、長い間、地域のリーダーを務めていると、気づかぬうちに、そこの「主」のようになってしまうことです。
かつて、ある地域に、草創からの幹部がおり、その人の考えや、好き嫌いの感情が、組織の運営や人事などにも、強い影響を与えていたということがありました。
皆、何かあるたびに、その幹部のところへ、真っ先にあいさつに行かなければならないし、意向に従わなければ、何もできないというんです。
自分中心から広宣流布中心へと、常に自らを戒め、狭い境涯の殻を破っていくんです。
新しい中心者や後輩たちを前面に立てて、徹して守り支えていくんです。
池田大作全集69 259頁より
時代も社会も刻々と動いている。きのう通用した方法が、きょう通用するとは限らない。
しかし幹部となると、その在任期間が長くなるにつれ、人の意見を聞かず、自分の考えに固執しがちになる。
また、どうしても保守的になり、時に応じた適切な判断ができなくなるものだ。
立場が上であればあるほど、多くの人を迷わせ、誤った道に導くことになる。
創価学会指導集1 209頁より
青年に意見を聞き、ある場合には教わっていこう、というぐらいの度量を持つ壮年の姿ほど、尊く美しいものはない。
学会には「師匠になりたがる」幹部が多すぎます!
これは特に、折伏をしない幹部が陥りがちな増上慢です。
外部の人と対話を続けていれば、組織でどんな役職があろうと、自分が「平凡な庶民」に過ぎないことを忘れるはずがありません。
折伏を避け、組織の中で幹部としてチヤホヤされているだけでは、勘違いしてしまうのも当然です。
折伏しない幹部が何十年も居座って、青年たちを指導しているのでは、かえって広布後退の天魔の働きとなってしまいます。
基本的に、どのような役職も任期は厳密に守り、再任回数にも制限をつけるべきでしょう。
それが、お手本にならない幹部を排除し、世代交代を円滑に進めることにもなります。
蓮祖は立宗よりおよそ20年で身延に入り、後の折伏戦を若き弟子たちに託しました。
日興上人も、大石寺開山の翌日に日目上人に相承し、自らは重須に入って、離れたところから弟子たちを見守りました。
池田先生も会長就任からおよそ20年で自ら勇退の道を選び、弟子に一切を託しました。
このように、常に青年にバトンを渡していくのが、仏法の永遠のリズムです。
成仏は最終的に「後継の青年リーダーを育てられるかどうか」で決まるのです。だから仏は必ず青年を尊敬します。
青年の成長こそ、仏の最大の喜びです。
後輩に指導を受けるようになるのが、成仏のひとつの目安と言えるでしょう。
一、弘通の法師に於ては下輩爲りと雖も、老僧の思ひを爲すべき事。
日興遺誡置文