御本尊の左右に記された阿吽の梵字は、愛染明王と不動明王を表しています。
また、四遇には四天王が記され、十界の衆生の下には天照八幡が記されています。
これらの諸天は、いわば御本尊と外界とを区切る「結界」「門番」の役割を果たしています。
祈るときには、無視して構いません。
われわれは断じて不動明王や天照大神を拝んでいるのではありません。
そしてまた、これらの諸天は、一切衆生の眷属でもあります。
日本の主神とされる天照大神が、衆生の下に置かれている曼荼羅など、前代未聞です。
これこそ「諸天は崇めるものではなく、一切衆生の召使である!」という、御本仏の大宣言なのです。
命を持たない、ただのシンボルに過ぎない神を、命ある衆生の上に置くところに、一切の宗教の根本の狂いがあります。
命ほど尊いものはこの世にありません。生身の人間ほど尊い存在はありません。
だからこそ日蓮仏法では、南無妙法蓮華経を唱えるあなた自身を、三大秘宝の当体としているのです。