お題目を唱えていても、病気で亡くなる人はもちろんいます。
凡夫の身である以上、いつかは何らかの病に倒れて亡くなることは避けられません。
「今世の使命を果たしたら次は来世の使命が待っている」というのが、仏法の死生観です。
死とは来世に向けてのスタートであり、決して忌み嫌うものではありません。
末期がんの苦しみは、体験者でなければ分からないでしょう。
そうした人々を救うには、自分が末期がんになるしかありません。
だからこそ地涌の菩薩は、自らが末期がんになるという宿業を背負って、末法の世に生まれてくるのです。
使命のために命をも捨てるのが、地涌の菩薩です。
その先は、その人の使命次第です。
今世で他の使命が残っていれば、末期がんが消えてしまうこともあります。
亡くなる場合も「更賜寿命」といって、残された使命を全うするまで寿命が延びます。
がんそのものは完治しなくても、余命3か月と宣告された人が、半年・1年も生きて、安らかに臨終を迎えるわけです。
死因は、成仏できるか否かには関係ありません。
人生で肝心なのは、悔いなく生きることができたかどうかです。
がんの痛みそのものは、薬で取り除くことができます。
しかし、人生に悔いを残した「生命の苦痛」だけは、薬でどうにかすることはできません。
それこそが、あなたの臨終を左右します。
南無妙法蓮華経を信じ唱え抜けば、必ず一生成仏できるのです。