1955/3/27戸田先生指導
文化部員の闘争は政治のための政治ではない
一党一派に偏するものではありません。
ひとりが社会党であり、ひとりは自由党であり、ひとりは民主党であり、なかには共産党がいても、いっこうにさしつかえないのであります。
聖教新聞1955/4/3社説
広宣流布の終点は国立戒壇建立である。その為には国会での議決が必要だ
故に文化部員の政界への進出は当然でなければならぬ
ではあるが(中略)学会がその宗教上の団結を利用して政党を結成してこれに当ることは全く誤りとなる。
保守党革新党と別れて政治上の問題については大いに議論を闘わし、学会出身者同志の闘争があっても良いのである。
このように1955年の時点では、学会はまだ国立戒壇建立を目指していたので、文化部員を政界に送る目的は、あくまでその実現にありました。
そのワンイシューさえ守っていれば、文化部員がどの政党に属し、どんな政策を唱えようと自由とされていました。
戸田先生には、政党結成の意図は全くなかったといっていいでしょう。
1957/9/1「週刊朝日」戸田先生対談
参議院には入っておかんと、政治的妨害が出たときに、防ぎようがない。あれは攻撃陣じゃなくて、防御陣なんです。
1962/6/20池田先生指導
わが同志の中から、たくさんの国会議員、市会議員、区会議員などを出して、広宣流布の外護の任をまっとうしてもらわなければならないと思うのです。
いままで三類の強敵にいじめられてきたけれども、今度は、わが日蓮正宗創価学会をいじめるものを、こちらから反対におさえていく。
これは、政界進出の裏の目的を吐露したものとみられます。
師匠は弾圧を身をもって経験されていますから、権力の中枢に学会員を送り込む必要性を痛感されていました。
その目的からも、与野党問わずあらゆる政党に学会員を入り込ませたほうが好都合だったのでしょう。
しかしその後、議員たち自身が政党結成を請願し、本人たちの意思を尊重して池田先生は許可を出されます。
そして1964年11月、公明党が正式に発足しました。
翌年2月には、池田先生と日達法主との話し合いにより、学会は国立戒壇建立を完全に放棄し、議決を必要としない、民衆立の正本堂建立に向けて進みます。
この時点で、公明党支援の目的は「学会外護」がワンイシューになったとみていいでしょう。
1965/5/17池田先生指導
選挙をすると決めたならば、一致団結して戦い抜くことです。
団結しないことは謗法です。
折伏経典1968/9/18改定30版
創価学会を離れて公明党はありえない。
もしあるとすれば、既成政党となんら変わることなく、政治のための政治に堕することは必然である。
当時、公明党の議員は学会の幹部を兼任していました。
創価学会の最高幹部がそのまま権力者となるわけで、今の感覚では想像もつかないほど、選挙戦は「宗教活動」そのものだったのです。
ただし、支援しないから除名されるといったことはなかったようです。
その後、いわゆる言論問題を機に、池田先生は政教分離を決断し、学会と公明党は一定の距離を置くようになります。
幹部と議員の兼任は認められなくなりました。
1970/5/3池田先生指導
学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。
政党支持については、会員の自由意思に任せ、まったく干渉するものではありません。
逆に言えば、いかなる政党支持の人であろうと、いかなるイデオロギーを持つ人であろうと、この妙法の旗のもとには、全く、何の差別もなく、平等に包容されるべきであることを、明瞭にしておきたいのであります。
1965年の指導とは、180度異なる大転換です。
ともあれ、学会員だからと言って必ずしも公明党を支持する必要はないと、池田先生が公式に認めたことになります。
これは折伏においても好都合でした。
しかし、議員にとっては大きな衝撃でした。
それまで、学会員であれば無条件で当選させてもらえたのが、これからは、政策においても支援者を納得させる必要が出てきたからです。
単に信心強盛であるだけでは足りず、政治家としての質が問われる時代に入ったと言えるでしょう。
1994/11/10今後の政治に関する基本的見解
これまでの公明党一党支持を見直し、今後の選挙については、候補者個々の政治姿勢、政策、人格、見識などをより重視し、人物本位で対応することを基本としたい。
政党支持については、これまでのように常に特定の政党を支持する立場はとらず、フリーハンドで臨み、選挙ごとに、その都度、態度を決めていくこととする。
これは、衆院公明党の解散・新進党との合流に先立って決められた新方針です。
結局新進党は失敗に終わり、公明党は再結成されたわけですが、少なくとも当時の学会が「選挙ごとの支援」という方針を打ち出したことは記憶しておくべきでしょう。
なお、SGIでは結成当初から現在まで組織的に政治に関与していません。
このように学会による選挙戦は、よく言えば試行錯誤の連続であり、悪く言えば日和見主義の歴史です笑
これほど短期間に、方針がコロコロ変わるのは、普通の仏道修行では考えられません。
つまり、選挙戦はあくまで「助行」に過ぎず、肝心なのはあくまで日々の勤行であり、折伏なのです。
選挙戦だけを頑張ってもたいした功徳はありません。
仮に選挙戦をサボっても罰が出るといったこともないでしょう。そんな恐ろしい信心なら、最初からやらないほうがいいことになってしまいます。
選挙戦だけで成仏できるなら、御本尊はいりません。学会を解散して全員が公明党員になればいいことになります。
戸田先生いわく「選挙の戦いなど豆粒のようなもの」です。
それなりに大事な戦いとしても、それを根本とするのは間違いです。
わずかな小島の戦いに一喜一憂するのではなく、三千大千世界に広く法華経を流布していくことこそ、われらの真の使命なのです。
※参考資料「内側から見る創価学会と公明党」浅山太一