池田大作全集74 92頁より
お金があるから強盗に狙われる。
美人だから妬まれ、不幸になる人もいる。
地位があるために悪に染まって、最後は悲惨になる人もいる。
天界の喜び、成功は必ず衰え、秋の木の葉のようにいつしか散っていくものである。
成仏こそ真実の成功であり、それが永遠の長者なのである。
あなたが、病の友人に対して「信心すれば必ず病気が治る」と折伏し、入信したとします。
その結果、晴れて病気が治ったら、彼はもう信心する必要ありませんよね?
逆に、治らなかった場合も、やはり信心する意味がありません。
顕益だけが目的の場合、どちらに転んでも、信心を続ける必要はないのです。
これでは、本当に折伏したとは言えません。
功徳には顕益と冥益がありますが、真の功徳は、あくまで
冥益です。
一時的な功徳ではなく、生命そのものを変革し、崩れざる境涯を築くことが、信心の目的です。
冥益は、凡夫には容易に理解できないため、仏は「方便として」顕益を説き、仏法に導くのです。
肝心なのは、あくまで方便であることを忘れないことです。
顕益が出るか出ないかは、人により、時によって違います。
そもそも全ての同志は、全員が最後は何らかの病でこの世を去ります。
それに対して「彼は信心が足りなかったのだ」と冷たく切り捨てるならば、学会員は誰1人として成仏できず、この信心は無意味という結論になってしまいます。
顕益の有無を基準として信心の深さを測ることはできないし、してはいけません。
初信の人には、冥益を説くことを決して忘れないことです。
病気が治ったからといって、幸せになれるとは限りません。
病気を治すことは、人生の目標足りえないのです。
「病気が治る治らないに関係なく」幸せになれる信心であることを、強く言い切ってください。