池田会長講演集第1巻より
行とは、勤行と折伏であり、なかんずく折伏こそ地涌の菩薩の使命であり、これを推進する場が座談会なのです。
一部に大聖人は、辻説法で折伏したなどという憶説がありますが、これは後世の史家や文学者が勝手に想像して書いたのに過ぎません。御書を拝すれば、大聖人はあくまで社会性、合理性を尊ばれ、座談会を中心として、折伏されたことが明らかであります。
顕正会などはあらゆるところで「辻説法」を繰り返していますが、自ら社会との溝を深めているだけです。
あれを見て「自分もいっしょにやってみたい」と思う青年などいないでしょう。
そもそも当時の鎌倉で辻説法は禁止されていましたから、蓮祖も人脈を辿り、ひざ詰めの対話で信徒を増やしていきました。
社会常識を逸脱した弘教、あるいは選挙活動などは、それ自体が仏法に反しており、法を下げ、かえって広宣流布を遅らせてしまうのです。