久遠元初以来、苦行で成仏できた人は、三千大千世界のどこにも存在しません。
仏法そのものが、苦行の否定からスタートしています。
法華経の修行をしているようでも、その中身が苦行であれば、やはり成仏はできないのです。
苦行は外道の修行であり、謗法です。謗法は功徳を消してしまいます。
苦行で命を削ることは、生命の軽視であり、仏法に真っ向から反しています。
睡眠時間を削って勤行しても、意味はありません。早く寝て翌朝に集中して祈ったほうが価値的です。
お題目は、生涯のトータルで考えていくべきです。無理をせず長生きして、1日でも長くお題目を挙げることです。
日々の活動も同様です。
特に男子部では「すべてやりきる」ことが重視され、役職も兼任が重なっていますが、人によって仕事の忙しさも体力も異なりますので、現実にはキャパがあります。
キャパ以上の活動を続ければ、もはや苦行であり、いつかは必ず体を壊してしまいます。二度と働けない身体になるかもしれません。
その時、誰が責任を取るのでしょうか?
組織が一生そのメンバーの生活を保障するのでしょうか。あるいは、活動を指示した幹部個人の責任でしょうか。
どちらにしろ、現実に責任などとれません。
だから、「絶対に」無理をさせてはいけないのです。
本人ができないと言っているのに、「祈ればできる」で無理に続けさせるのは、単なるパワハラです。
今の時代には完全に通用しません。
根性論のパワハラ幹部は、天魔の遣いです。
たとえ本人がやれると言っても、ストップをかけるのが、幹部の責任なのです。
もし、何度断っても活動や役職を押し付けられるのであれば、
「体を壊した場合、全ての責任を取ります」
と、その幹部に一筆入れさせるべきです。当然のことです。
謗法を強要するパワハラ幹部を追放することが、広布の組織を守ることなのです。