法華経のゆへに流罪に及びぬ、今死罪に行なはれぬこそ
本意ならず候へ、あわれさる事の出来し候へかしとこそ
はげみ候ひて方々に強言をかきて挙げをき候なり。
金吾殿御返事
(法華経のゆえに伊豆流罪に及んだ。今は、死罪にされないことこそ不本意である。死罪になるような大難を望んで、あえて各方面に強言を書き送ったのである)
この文言通り、間もなく蓮祖は龍ノ口の法難を受け、頸の座に臨まれました。
大難が起こらなければ、法華経はウソになってしまいます。
天魔から集中攻撃されるのは、あなたが正しく法華経を修行している証です。
この信心は、難を「避ける」のではなく、「乗り越える」信心なのです。