もし、「スイッチを入れるだけでクリアできるゲーム」が売られていたら、あなたは買いますか?
おそらく、誰一人買いたい人はいないでしょう笑
もし、ラスボスのゾーマをメラ一発で倒せたら、ドラクエ3はクソゲーだったはずです笑
ゲームは、難しいからこそ面白いのです。人生も同様です。
何の困難も障害も無く、100%目標を達成できるとしたら、その人生は退屈の極みです。
もし空腹を感じない人がいたら、食欲も失い、何も食べようとしなくなるでしょう。
同様に、何の苦労も無い人生では、かえって生きる気力を奪われてしまいます。
困難や障害は、あなたに生命力を与えるために不可欠なものなのです。
御本尊に第六天魔王が記されているのは、それが大宇宙に必要な役割だからです。
天魔とは、人生を楽しくするための「隠し味」なのです。
ただしもちろん、難しいだけですぐゲームオーバーになってしまったら、面白くありません。
隠し味は、それ自体が主役になっては、かえって料理をブチ壊してしまいます。
ゲームには、クリアに役立つ様々なアイテムが登場します。
このアイテムに当たるのが、いわゆる諸天善神です。
ゾーマと戦う時は、「光の玉」で闇の衣をはぎ取り、「賢者の石」でダメージを回復させながらだったはずです。
どんなに魔が強くても、それ以上に諸天の加護が強ければ、人生は充実したものになり、結果として最高の達成感を得ることができます。
また、目標が低すぎてすぐに達成してしまったら、すでにゲームクリアであり、もはや生きる意味はありません。
個人的・小市民的な幸福をゴールとする人生は、必ず行き詰まります。
例えば「1億円稼ぐ」をゴールとした場合、稼いだらあなたの人生は終わりです。残るは死ぬことだけです。
「子どもを育てる」でも「孫の顔を見る」でも、ゴールしたら終わりなのは同じです。最後は目標を失い、ただ死を待つだけの余生となります。
その点、広宣流布という大願には、決して行き詰まりがありません。
広布においては、永遠に後継の青年を育て続ける必要があります。そこにゴールはなく、人生最後の瞬間まで、充実した「ゲーム」が続きます。
死が近づけば近づくほど、大きな差が出ます。
個人的な欲を卒業することが、個人を絶対的に救うための、唯一の道なのです。