建治3年から翌弘安元年にかけて疫病が流行り、大聖人門下にも死者が出ました。
世間の人は「なぜ信心しているのに病死するのか」と騒ぎました。
これについて蓮祖は「治病大小権実違目」の中で、
「他宗より病むものも死ぬものも少ないではないか」
と反論されています。
門下が増えれば、確率的に病気にかかる者も増えます。
これが世間より多かったら、功徳が無いと言えるかもしれませんが、世間より少ないとすれば、この信心に力がある証拠です。
今では世界に1000万の同志がいますから、その中には病気で早く亡くなる人もいます。
だからといって、信心を疑うのは愚かです。
さらに言うならば、仏法では「死魔」が競うと説いていますから、同志の死は決して避けられません。
誰かが代表して引き受けねばならないのです。
戸田先生は58歳の若さで亡くなられましたが、これは信心が足りなかったからではなく、「全学会員を代表して死魔を引き受けてくださった」と拝すべきです。
より信心強盛な同志ほど、死魔を引き受けてくれているのです。
蓮祖ご自身も、この治病抄を著された数か月後に、死魔を引き受けて御入滅されています。