池田大作全集77 315頁より
妙法を正しく行ずれば、必ず諸難がある。在家の身でそれに耐えられるはずがないと大聖人は思われていたというのである。
いわば、難は本来、当然、出家が受けるべきとされていたと拝される。
にもかかわらず、金吾は立派に大聖人の大難にお供し、自身の難にも揺るがなかった。
戸田先生は、戦時中の弾圧で退転した当時の最高幹部が、戦後に復帰することを許されました。
これを「甘いのではないか」という声もあったようですが、一度退転したからといって見捨てるのは、仏法の精神に反します。
戦時中の牢獄は、健康な若者でも餓死してしまうほど過酷な環境でした。
戸田先生も投獄中に体重が半分近くまで落ちてしまいました。
まして、家族が待っているとなれば、退転した同志をどうして責められるでしょうか。
学会員は在家の身であり、信心の定まらない会員がいても、どこまでも忍耐強く包容していくことが肝心です。
とはいえ、彼らが青年たちの模範にならないことは明白ですから、復帰後もあくまで裏方に徹し、戸田先生と池田先生を陰で支え続けました。
蓮祖は、法難でやむなく退転した在家信徒たちを、決して罵ったりはしませんでした。
「法難は我ら出家が代表して一身に受けるべき」というお心だったのです。
また、だからこそ興師は、天台沙門を名乗って弾圧を逃れた五老僧を、蓮祖の弟子とは認めなかったのです。
池田先生は
「学会から誰1人殉教者を出したくない。最悪でも私1人でいい」
そのように語られています。
決して、無理をさせてはいけません。
たとえば、職場で学会宣言したことで不利益を受ける恐れがあるならば、あえて伏せるように指導することも必要な場合があります。
また当然、メンバー以外の第三者がいる場所で、むやみに学会の話をすることは避けるべきです。周囲の人に告げたくない場合もあるからです。
誰がどんな信仰を持っているかは「個人情報」であり、公表するか否かは完全に当人の自由です。
学会宣言させることについても、決して無理強いしてはならず、個別に慎重な指導が必要なのです。