法華経の智慧より
仏法は「宗教のための宗教」ではない。
社会のため、現実のための信仰です。
社会のあらゆる分野の指導者として、「さすがは信仰者だ」といわれる活躍と結果を示さなければならない。
1964年7月本部幹部会スピーチより
これからの学会の幹部は、社会の指導者は、教養が無くては立派な指導者とはいえません。
庶民性も大事ですが、どこに指導に行っても、どういう人と付き合っても、悠々と、あらゆることを論じ、どんなことでも知っていることが大事です。
「文化的だな。気品があるな。教養があるな」と、そのように言われる幹部でなければなりません。
いくら学会活動を熱心にやっていても、生活が乱れ、周囲に信頼されていなければ、一念が狂っていると言わざるをえません。
「宮仕えを法華経と思召せ」です。
第一、現実が改善していかなければ、信仰している意味もありません。
御本尊に祈れば、梵天帝釈の生命が動き出します。
全宇宙の諸天善神が、あなたのために働いてくれるのです。
ならば、職場や地域のリーダーに選ばれないはずがありません。
仏法は観念ではなく、あくまで現実法なのです。