法華経の智慧より
現代文明は「死を忘れた文明」と言われる。
それが同時に「欲望を野放しにした文明」となったことは偶然ではない。
死を意識するか否かが、人間と他の動物との違いです。
死を意識することによって、人間は人間になった。
江戸時代まで、死者は集落の一角に葬られていました。
今でも古い村を通ると、住宅のすぐ横に、無数の墓地が点々としています。
死亡率が高かったこともあり、家族の臨終を見ずに大人になることは稀でした。
死は日常であり、すぐ隣にあるものだったのです。
これは、全ての伝統社会に共通しています。
しかし現代では、墓地は人里離れた場所にひっそり集められ、墓参りも容易ではありません。
動物の死骸すら、保健所がすぐに片づけてしまいます。
臨終は自宅ではなく、病院で迎えるのが当たり前となり、死に向き合う機会はほとんどありません。
人々は「自分がいつか必ず死ぬ」ことを忘れたまま生きています。
金儲けにいそしむ人間がこれほど多いのも、「お金はあの世まで持っていけない」ことを忘れているからです。
死を忘れた生は、自ずから動物的にならざるを得ないのです。