法華経の智慧より
釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」と別のものではない。
法と人(仏)は本来、不可分なのです。
宇宙生命に人の側面と法の側面があり、それが一体なのです。
人法一筒は仏法の極理であり、もっとも重要なポイントです。
つまり、法華経を信じる人は法華経そのものなのです。
南無妙法蓮華経を唱えるあなた自身が、大宇宙の本尊・南無妙法蓮華経如来なのです。
これは、「物理」と「物質」の関係に例えればわかりやすいでしょう。
もし、この世に物質が存在しなければ、物理が働く場はありません。
また、物質が存在するときには、必ず物理法則に従います。
物質が発生すると同時に、自ずから物理法則が生じるわけです。
このように、物理と物質は不可分な関係にあります。
仏法は生命法則ですから、この世に生命が無ければ、働く場がありません。
逆に、生命が存在すれば、必ず仏法に従います。
やはり、仏法と生命は不可分です。
三千大千世界の中には「生命体が全く存在しない宇宙」があるのかもしれません。その場合、仏法は存在しないことになりますが、その宇宙は我々にとって「存在しない」に等しいので、無視してかまいません。
少なくとも、生命が存在している我々の宇宙においては、仏法が一切を支配します。
南無妙法蓮華経が宇宙最高の法だといっても、誰も唱えなければ、存在していないも同様です。
法を顕在化するためには、それを信じ唱える人間が必要です。
したがって、南無妙法蓮華経を唱えるあなたは、そのまま宇宙最高の存在となります。
これが、題目を唱えるだけで仏になれる原理です。