法華経の智慧より
大切なことは、折伏したときに、相手が聞くか聞かないかは別問題だということです。
随喜品には、「法華経の話があるから」と人を誘うこと自体が、すでに功徳を積んでいるのだと説いている。
会場で、座を詰めて座らせてあげるだけで功徳があると説かれている。
「発心下種」と「聞法下種」の功徳は同じなのです。
戸田先生は、何人もの人が折伏してもなかなか入信しない人について、「それだけ多くの人に聞法下種させて、多くの功徳を与えている人なんだ」と言っておられた(笑)
大事なことは、悪口を言われるたびに、自分自身の生命が浄化されていくということです。
だから戸田先生も「折伏のためにせらるる悪口は、心から感謝しなくてはならない」と言われていた。
折伏して、誰もが素直に入信してしまったら、修行になりません笑
広宣流布はすぐ終わってしまい、あなたは宿命転換できなくなってしまいます。
だから、折伏がなかなか決まらないのは、本当はありがたいことなのです。
誘いを断られたからと言って相手を怨嫉するのでは、せっかくの功徳を消してしまいます。
折伏できないことにさえ感謝できるのが、仏なのです。
とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。
信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。
法華初心成仏抄