21世紀への対話より
快楽(例えば麻薬に溺れることなど)のために生命を犠牲にすることは、戒めるべき
(ならば)苦痛から逃れるために生命を犠牲にすることも、また戒めるべきではないでしょうか。
苦痛の消滅のために人為を施すことは正しいと思いますし、そのためには最大限の努力を払うべきであると考えます。
しかし、生命自体の生きる権利というものに人為を加えることは許してはならないと思います。
苦楽には尊厳性はありませんが、生命は尊厳だからです。
生命の尊厳は、どんな苦悶とも等価におくことはできないのではないでしょうか。
「自らの生を終える」ということを決定する主体は、知性や感情ではなく、もっと本源的な、その生命自体であるべきだと思います。
知性、理性、感情は、この生命自体の表面の部分であって、生命全体ではありません。
全体的生命を破壊したり、その持続を終息させる瞬間を決定する権利はないといわざるをえません。
仏法では、生命は仏そのものであり、「絶対の尊極」であると考えます。
したがって、これを恣意的に縮めることは許されません。
健康長寿のため、最大の努力を重ねるのが、そのまま仏道修行となります。
人は誰でも、気が付いたときには生まれています。
この世に生まれてくるのは、意識の働きではありません。
したがって、この世を去るタイミングも、意識で決めることはできないのです。
しかし、苦痛に尊厳はありません。
臨終に伴う肉体的苦痛をただ我慢するのは、外道の苦行に等しく、無意味です。
モルヒネをはじめあらゆる手段で苦痛を排除し、穏やかに臨終を迎えるよう手が尽くされるべきです。