昭和47年8月24日夏期講習会より
この経の四の巻には「若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり、或は「若実若不実」とも説かれたり、之を以って之を思ふに忘れても法華経を持つ者をば互いに毀るべからざるか
松野殿御返事
同志を、決してそしってはならない、悪口をいってはならない、という厳しい戒めの御文である。
それがほんとうであったとしても、根も葉もないうわさであったとしても、どんな理由であれ同志を陰で毀ることは絶対に悪である。
たった一言であっても、仏を一劫のあいだ面と向かってそしるよりも、その罪は重い、と法華経に説かれている。
だからといって、学会利用とか、組織を利用しようという人間にだまされていいというのではない。
信心の方向性が間違った場合には、「彼が為に悪を除く」とあるように、厳しく戒め合い、指摘しあうことも必要である。
この御文は印刷して拠点に貼りだしておきましょう笑
幹部も人間ですから、完璧ではありません。生身の人間が集まった組織ですから、欠点はいくらでもあります。
しかし、だからといって信心しないというのは、ただの我がままです。
仮に、幹部や組織が完璧だったとしても、あなた自身が祈って折伏しなければ、宿命転換はできませんよね?
結局、信心は自分がやるかどうかが全てです。
嫌いな同志に対しては、放っておくか、祈ってあげるか、どちらかしかありません。
会合に出てくれない部員さんを悪く言う幹部もいますが、あなたは自分自身の修行のために活動しているのですから、部員さんに感謝こそすれ、悪く言う理由は無いはずです。
ただしもちろん、法に背いているメンバーがいたら、仲の良し悪しに関係なく、厳しく戒めていくことが必要でしょう。
嫌いな同志には厳しくても、仲のいい同志は甘やかすというのでは、与同罪です。そんなことを放置したら、派閥だらけになってしまいます。
和合僧はあくまで法に依る和合でなければならないのです。