法華経の智慧より
善の行動そのものに功徳は備わっている。
決して、他から与えられるものではない。
日蓮大聖人は「六根清浄」によって功徳はあると言われている。
自分が変われば「さいわいを万里の外より」集めることができる。
仏法における功徳とは、他宗の説く「ご利益」や「奇跡」のように、神様に与えられるものではありません。
あくまで、自らの生命から生じるものです(これは罰も同様)
仏法は中道であり、苦楽いずれに偏ることも間違いです。
法華経の祈りは「誓願」であり、必ず現実的な努力、創意工夫を伴います。
神様を拝んでいるだけで願いが叶うなどという非科学的なことはあり得えないのです。