人生の座標より
どんな人にも、人間らしい最終章を飾る権利があります。
介護はその人生のフィナーレを演出する貴い仕事です。
介護は「人生の聖業」と言えるでしょう。
高齢者や障碍者の介護が充実していることは、仏国土の絶対条件です。
介護を必要とするのは、一見、社会にとっては「必要ない」「負担にしかならない」人々に見えます。
勤労や納税など、社会人としての義務を果たさず、権利ばかりを行使しているように見えます。
しかし、「社会にとって負担になる人間はいらない」という思想は、全体主義そのものです。
社会に貢献できる健康な人だけが賞賛され、そうでない人が低く見られるのは、暗黒社会なのです。
畜生は決して介護しません。自力で生きられなくなった個体は、実の親であろうと見捨てられ、天敵のエサにされるに任せます。
要介護者の存在こそが、人間を人間足らしめているのです。
人間社会はプロスポーツのチームではないので、役立つ人だけに生きる権利があるわけではありません。
人は誰でも、無条件に生きる権利があります。愛される権利があります。幸せになる権利があります。
社会はそのための手段に過ぎず、決して社会のために人間がいるわけではないのです。
社会への貢献度で人命の軽重を決めることがあってはなりません。
牧口先生も、自ら寝たきりの義母を介護されていました。
介護とは、仏法の体現そのものなのです。