今では信じられないことですが、提婆達多の教団は、彼の死後も崇拝者を失うことなく、インド社会に1000年ほど存続していたそうです。
もし、仏法が先に滅びていたならば、釈尊の正義を誰も証明することができず、提婆達多が真のブッダとして歴史に名を残していた可能性もあったのです。
結局、歴代の仏弟子が提婆達多にとどめを刺すまで、1000年かかったということです。
天魔との闘いには、そこまでの根気を必要とするのです。
師の正義を証明できるのは、後継の青年しかいません。
どんなに偉大な法であっても、後継の青年がいなければ、滅びるしかないのです。
大聖人は、晩年には末法万年の大計から、国家諌暁をあえて差し置き、弟子の育成に集中されました。
天魔は、自分が生きている間の事しか考えません。仏は、自分の滅後を第一に考えます。
青年リーダーの育成こそ、全てに優先して取り組むべき聖業なのです。