末法の御本仏は、日蓮大聖人ただおひとりです。
本師を離れて、成仏はありません。
したがって末法における成仏とは、「日蓮に成る」ことなのです。
「私は日蓮大聖人の分身である」
「私は日蓮大聖人の再誕である」
「私は日蓮である」
そう信じることです。
それによって、大聖人の誓願・人格・智慧・法力・福運が、ことごとくあなたのものになります!
それほどの力を持ったお題目であり、御本尊なのです。
師弟は不二です。一切衆生即日蓮大聖人です。
そのお手本を現代に示されたのが、他ならぬ創価3代会長です。
「いくら御本尊が偉大でも、自分が大聖人と同じ仏になれるなんて信じられない」
その考えは、大聖人・御本尊・お題目に対する大不信です!
十大弟子と同じ落とし穴にはまっています。師弟不二を信じていないのです。それでは成仏できません。
まして、僧侶や幹部や議員のほうが一般信徒より偉いなどという考えは、下等なカルト思想であって、もはや仏法でも何でもありません。
御書の通り、大聖人も自分も、平等不二であると信じることが、成仏なのです。
大聖人は、梵天帝釈さえ従える、全宇宙の主です。大聖人の生命をわがものにすることで、あなたも必ず大宇宙を動かすことができます。
また、そう信じて祈ることです。お題目に不可能は無いのですから。
「久遠実成の釈尊(日蓮大聖人)と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」
生死一大事血脈抄
我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり
日寛上人文段集