日尊といったら、興師の講義の最中に庭を見とれていて、12年も勘当されたことで有名です。
ただし、目師との師弟関係は続いていたようです。
勘当中、日尊は奥州を巡り、多数の寺を建立しました。
しかし弘教を焦るあまり、神社への参詣を容認する発言をしていました。
このような、日尊の教学軽視の姿勢を、興師は鋭く見破られていたのでしょう。
又六という信徒が、日尊の邪義に抗議の声を上げましたが、弘教の成果に増上慢となっていた日尊は、耳を貸しません。
そこで兄の五郎が目師にお手紙を出し、目師は日尊を厳しく注意しました。
日尊は素直に反省するどころか、へそを曲げて師に返書もよこさない有様だったそうです。
ともあれ、又六と五郎が勇気を出して声を上げたからこそ、日尊の邪義が明白になり、奥州の法華衆は正しく信心を貫くことができました。
いつの時代にも、中心者がおかしくなることはあります。それを見逃せば、あなたも与同罪で共に地獄に堕ちてしまいます。
いざというときには、立場に関係なく、正邪を明確に言いきっていくことです。
中心者が聞く耳を持たないのであれば、本部に報告しましょう。本部がすぐ対応するかどうかはわかりませんが、少なくともあなたが与同罪となることは避けられます。
幹部からの評価や組織での評判など、成仏とは何の関係もありません。
仏法者が恐れるべきは、仏罰のみなのです。