大聖人御在世当時を代表する反逆者が、三位房です。
三位房は、もともと殉死覚悟で竜の口に随行するほどの、強信の弟子でした。
問答に優れ、法論の代表にも選ばれるなど、若いながらも日蓮一門を代表する俊英でした。
しかしながら、もともと虚栄心が強く、師を軽んじる生命があり、大聖人から叱責される手紙も発見されています。
熱原の法難においてついに本性を現し、こともあろうに自ら法華衆の弾圧に加担するのです。
まさに、御在世当時の提婆達多ともいうべき存在です。
裏切りの罪は、弾圧の首謀者である平頼綱よりはるかに重く、これまでの福運はただちに尽きてしまいます。
反逆の直後、事故により若くして非業の死を遂げたといわれています。
三位房の訃報を受けて、大聖人は「四菩薩造立抄」の中で
「願くば日行(三位房)を釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山へ迎え取らせ給へと申し上げ候いぬ」
と、故人の成仏を祈願されたことを明かされています。
大聖人にとっては、反逆者でさえ憎しみではなく、憐れむ対象だったのです。
仏法に照らして、三位房は平頼綱よりも長く無間地獄で苦しむことは避けられないでしょう。それはあまりにも惨たらしく、見るに堪えない後生です。
死苦により少しでも罪障消滅できたことが、三位房に残された、せめてもの福運だったのでしょう。
学会においても反逆者を厳しく破折しますが、その根底にあるのは、あくまでも慈悲です。
彼らが生きているうちに少しでも信心を取り戻さなければ、半永久的に無間地獄で苦しむことになります。これはあまりにも惨たらしく、残酷です。
彼らの後生を憐れむがゆえに、あえて今生での現罰を祈るのです。