九識論によると、人間の意識は9層に分類されています。
重要なのは、表層意識ほど個人的であり、深層意識ほど集合的であることです。
具体的には、第8識からは、宇宙生命と一体化していきます。
第8識は、いわゆるアカシックレコードであり、全宇宙のカルマが寸分も漏れず蓄えられています。
池田先生は、ユングの唱えた集合的無意識は、第8識を部分的に説いたものだとしています。
すなわち、あなたの背負っている宿業は完全に個人的なものではなく、宇宙全体の宿業を含んでいるのです。
仏は一切衆生を憐れみ、衆生の宿業を我が宿業と肩代わりして、この世に生まれてきます。
だから、学会員は病人と貧乏人ばかりなのです笑
我が子が苦しんでいる時、替わってやりたいと思わない母はいません。
凡夫でさえそうなのに、仏が「衆生の苦悩を肩代わりしたい」と誓願しないことなどあるでしょうか?
牧口先生が獄死されたのも、戸田先生が58歳で早逝されたのも、池田先生が長年肺病で苦しまれたのも、全て衆生の宿業を一身に引き受けられた結果なのです。
そうでなければ、九識論は、仏法はウソになってしまいます。
第8識に蓄積された宿業は、誰がが代表して消さなければなりません。
誰かが宿業を引き受け、第9識(仏界)の力を以て消滅させなければならない。
そのために地涌の菩薩は、あなたは生まれてきたのです。
地涌の菩薩とは、いわば宇宙を浄化するための「仏の軍勢」です。
同志が、宿命の嵐に苦しんでいるとしたら、それ自体、地涌の菩薩であることの証明です。
同志に限らず、全ての病める人、貧しい人は、「あなたの替わりに」宿業を引き受けてくれたのです。また、そう観ていくことこそが仏眼を得るための修行です。
だからこそ、あなたには、人々を折伏で救っていく「義務」があります。
同志を最大に讃え、守っていく「責任」があります。
それが「九識に生きる」ことになります。
仏の世界では、自己と他者は一体不二なのです。
同志の宿業を他人事だと思っていたら、どうしても激励が「上から目線」になってしまいます。
あなたが、幹部に激励されても歓喜を感じられないのは、それが原因です笑
特に今の時代、上から目線は青年から嫌われます。共感が無い、口先だけの指導だということを、ちゃんと見抜かれているのです。
同志に悩みを相談されたら、まず
「僕があなたのために100万編の題目を送ります!」
そう断言することが、指導の始まりです。
自分自身が100万編で悩みを解決した体験もないのに、同志に押し付けるのは、無責任なパワハラです。
自分ができない、やる気のないことを、同志に指導してはいけません。
悩みの当人が必死で祈っていないはずもないのに、「君はまだ祈りが足りない」などとマヌケな指導をするのも、幹部失格です。祈りは題目の量ではありません。
苦境の同志は、皆の宿業を代表して肩代わりしてくれているのです。みんなで祈りを送り、支えていくのは当然です。
同志の悩みを我が悩みとして受け止めることが、異体同心の祈りであり、凡夫が仏になるための絶対条件なのです。
追記
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