古来、佐渡流罪から生きて帰った罪人は皆無だと言われています。
佐渡で大聖人に与えられたのは、従者の分も含めて、一日米一升と塩一勺のみでした。
当然、これだけでは栄養失調になってしまいます。
しかし、流刑の罪人に地元民が食糧を分け与えてくれるはずもなく、厳寒の冬には自給自足もままなりません。
つまり、佐渡流罪とは、流罪に名を借りた事実上の死刑宣告だったのです。
阿仏房・千日尼夫妻が監視の目を盗んで食料を届けなければ、大聖人もまもなく餓死していたでしょう。
なお、阿仏房夫妻もそのために家宅を没収され、罰金を科せられるなど、厳しい迫害を受けました。
むろん、殉死覚悟で常随給仕された日興上人の信心も、忘れてはいけません。