仏法では「断見」や「常見」を否定しています。
断見とは、「死ねば生命は消滅する」という考え方です。
また常見とは、「死後も霊魂が残る」「あの世に行く」という考え方です。
いずれも両極端であり、生命の真実を表していないとしています。
今では多くの宗派が水子供養をやっていますが、常見はもともと外道の教えです。
釈尊が説いた全てのお経は、霊魂を否定しています。
彼らもそのくらいは知っていますが、金儲けのために霊感商法に手を染めているのが、日本仏教の現実なのです。
仏法では、死後の生命は、「大宇宙そのものに還る」と説いています。
そして機会があれば、再びこの世に生を受けます。
ただし、生前に積み重ねた「業」は、そのまま残ります。
悪業を重ねて死んだ生命は、宇宙に還った後も、再び生を受けた後も、報いを受けて苦しみ続けなければなりません。
その宿業を転換するには、南無妙法蓮華経を唱えるしかないのです。